気づき

更新日:11月7日

先日の門人達に「気づき」について話をしました。

私達は武道の技を通して、普段意識しない体の筋肉、骨、重心、動きなどについて繊細に感じる訓練をしています。指や肘、膝などの細やかな関節の動き、物理学を応用しての身体や身体の部位の動かし方など、普段気にしないで使っている部分に神経を集中します。


普段私達は、心臓が上手く動いてるな。ちゃんと目が見えて耳が聞こえてるな。指も使えるし、足も動いてるなどとあまり意識をおかないものです。身体が全て上手く機能している人ほど、そのような事は意識しません。ところが、それらが上手く機能しなくなってから初めて何とかしなくてはと思い、ちゃんと機能することの有難さに気づくのです。私が腸閉塞と急性膵炎で緊急入院をした時に、尿があまり出ず、どんどんアンパンマンのように膨れていってしまいました。お薬のおかげで何日か後にはちゃんと充分な量の尿を排泄する事ができ、人間の身体の仕組みを本当に有難いと思いました。現在は血液の病気の為、献血ができません。献血車を見る度に切なくなります。血はまた作れるので献血してあげたいと思いますが、もうできません。


日常生活でも「当たり前」の事に慣れてしまっています。電気一つ取っても、電線を作る人達がいて、工事をする人達がいて、電気を作り出し、管理している人達たちがいます。ライフラインだけでなく屋根のついた場所に眠れるのは私達の収入のおかげだけでなく、その屋根のついた建物を作ってくれる人達がいて、それらを作る為の材料を作ったり集めてくれる人達がいることを忘れては行けません。全てが沢山の人達が色々な仕事をしてくれているおかげで、私達は暮らしていけるのです。頭では分かっていても、普段意識していません。災害や戦争などで失った時に初めてそれらの大切さに「気づく」のです。


太陽があり、雨が降って、海があり、森があることで私達は生かされています。それらも人間が失い始めてやっと大切さに気づき始めました。気づいても、まだ人ごとのように思っている人達も沢山います。環境活動家のグレタさんが「私達の家は燃えている」と言っていましたが、「まだ自分の家は燃えてないんだから大丈夫」と自分にとって嫌な事柄からは現実逃避する人達は大変多いです。


先日、運動公園に行った時に、中学生か高校生の野球大会が催されていた様子でした。応援に来ていた家族でしょうか。小学生のお孫さんを連れていたおじいさんが、ゴミの捨てる場所が見つからなかったせいか、ペットボトル回収箱の前に、食品容器などが入ったごみ袋を平然と捨てていきました。私は呆れて一瞬たたずんでしまいました。

ごみもそうですが、未来に責任のある大人の私達が、現実に起こっている問題に対しての意識が低すぎる人が多いです。自分に対して不都合や痛くなければ知らんぷり。自分さえ良ければ良いというような態度をとっている大人達が、子供達に偉そうに色々と説教をしているのですから、世界中で未来を担う子供達が環境問題について怒っているのも当然です。


「気づき」に意識を置かず、全てを当たり前だと思い大切にする行動を起こさなければ、それは私達だけでなく世界中の子供達や孫達に負の資産を与える事になってしまいます。武道の状況で言えば、怖い攻撃に目をつむって後ろを向いて逃げようとしているようなものです。そんな事をすればモロに攻撃を受けてしまい身体を痛めます。


さあ、目をつぶってあなたの「当たり前」に意識を置いて「気づいて」みましょう。感謝の思いが溢れ出て、人、物、自然を今以上に大切にしなければならないと思うはず。そして思っているだけでなく、すぐにそれらを大切にする行動に移しましょう。そうでないと、誰かから攻撃をされて「参った」と言っても、もうすでに身体が傷つき立ち上がれない状況に陥ってしまうように、全てが取り返しのつかない事になりますよ。

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