11月の大和心のクラスは、「鍛練」について話しました。
English is HERE
まずは鍛練の言葉の由来から。宮本武蔵の五輪書で「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とあります。また日本刀を作る工程の一つを「鍛錬」と呼びます。鋼を折り返して鍛えることにより不純物を取り除くことと、炭素量を均一化させることを目的とした作業です。つまり厳しい修練を積んで技や心身を鍛えると言う意味です。
望月先生も入院中でも鍛えることを続けられた凄い方だと杵淵先生から聞きましたが、杵淵先生も常に「鍛錬」をなさっていた方です。
新潟の国際大学の合気道部で指導をお願いしていた時、駅から大学までのシャトルバスだと稽古開始時間ギリギリになってしまいます。先生は稽古の前は心身ともに準備の時間が必要だと、駅と大学間の片道40分の道のりを往復歩くことになさいました。その当時は私達は大学内に住んでいましたが、駅までお送りしますと言っても私達に迷惑がかからないよう歩かれました。大雨でも吹雪でも猛暑でも歩かれました。大学の部活という事で、何人指導しても月に1万円しか謝礼を出せませんでした。定期券や備品代の費用にし必ず、周囲の人達には指導の依頼を引き受けない方が良いと言われたそうです。それでも先生が引き受けられたのは、合気道の指導の依頼を受けた年に恩師望月稔先生がお亡くなりになれた年であり、望月先生は「一人でも学びたい人いれば、教えに行きなさい」と常々おっしゃっていたそうで、これも運命を引き受けてくださったのです。私達が大学内から引っ越しをするまで、先生は6年以上徒歩で通って指導して下さいました。先生は「鍛練」を言葉でなく態度で教えてくれていました。
そして私が苦しく辛い経験をした時は、いつも吹雪の中を歩く先生や車椅子を足の指で動かすトレーニングをなさっていた望月先生を思い出します。そして「こんなことでは負けてはいられない」と自分を鼓舞していました。
そこで、今月の門人さん達への宿題は「今でやろうと思っていたけれどやらなかった事を1ヶ月続けてやってみる」または「今までやめたいと思っていたけれどやめられなかった事を1ヶ月やめてみる」のどちらかを選んで実践してもらう事です。皆さんが自分の甘さや弱さにどれだけ打ち克てるかが楽しみです。
Comments