現代日本において「柔よく剛を制す」は、格闘技において技(柔)で力(剛)を制する意味で多く使われています。ですが、この文の後には「剛よく柔を断つ」という言葉が続きます。
「え〜。それじゃあ元もこうもないじゃん!」ってなります。この「柔よく剛を制す」の言葉はどうやら古代中国の「三略」という兵法書が元のようです。そこには、柔とは他者を育てる徳であり、 剛とは他者を傷つける悪である。弱者は人が助けようとするが、強者は人が攻め込もうとする。 柔、剛、弱、強ともにそれぞれ用いるべきところがある。この四者を重ねてその場に応じ自在に用いる事が大切なのである。と記載されているそうです。つまり「臨機応変にやりなさ〜い!」という事です。
自分の意思をしっかりと持ちながら柔軟に対応するというのは、なかなか難しいものです。私はこれを門徒に説明するときによく竹を例にあげて説明します。竹は強いけれど、柔らかくしなります。そして土の下の根元は隣の竹同士しっかりと支え合っているのです。軸をしっかりと持ちながらも、柔軟に対応できる。そして他者と支え合えるような人。そのような人になりましょうと。
多分、これを読んでいる多くの人が「自分はそうだ。ちゃんとできてる」と信じ込んでいるでしょう。実はそこが問題なのです。自分の軸をしっかりと持っているけれど、それに固執しないというのは大変難しい。何故ならば、誰でも自分を肯定したいからです。自己肯定感が高いのは良い事ですが、高すぎると人の意見を聞き入れられなくなってしまいます。逆に軸がふにゃふにゃでは、全てに流されてしまい振り回されてしまいます。
私の思う柔とは、一歩自分を外から見つめられる姿勢だと思います。自分の軸をよく理解し、制する事もできる柔です。これがとっても難しい。なぜならば「もしかすると自分の考えや見方は間違っている」と自分に向き合うのは結構辛い事ですから。ずっと信じてきた事をもう一度新たに見つめなおしてみるというのは、口では簡単に言えますが実行するのは難しい。経験が長くなればなるほど蓄積された自信があるからです。日曜の渋沢栄一のドラマで渋沢が長年信じてきた尊皇攘夷の考えを改めるシーンがありました。なかなか出来ないことだと思います。
杵淵師範は技や形を躊躇なく変えられます。「この方が良いのではないか。この方が皆がやりやすいのではないか。」と思われたら変えます。武道の先人達も技は革新すべきと申しています。私達も自分の考え方に対して「柔よく剛を制す 剛よく柔を断つ」でいられたら良いですね。柔、剛、弱、強バランス良くです。
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