階段

新聞で人間の欲についての記事を読んだ。それにはこのような事が書いてあった。人間は他から何かを得なければ生きていけない。太陽の光、水、食物など。だから人間は本能的に何かを得て満足するのだと。ところが、何かを得ると自己欲求が強くなり、もっともっと欲しくなり、得たものを手放したくなくなる。どんなに得ても満足しない。ところが、動物は必要以上に得ることをしない。獲物を得て食し空腹が満たされればそれ以上に狩らないのだと。



その記事を読んでいて、杵淵師範が以前「段」についてお話なさってた事を思い出した。武道ではまずは黒帯になる事を目標として稽古に励む。そして黒帯になると更に二段、三段と続くのだけれど、ある人達はその昇段こそが目的となってしまっているように見受けられたとおっしゃられた。「階段を登る目的は、階段の先にある場所(物)を目的として登っていく。階段1段づつを上がっていく事が目的ではない。その本当の目的を忘れてはならない。黒帯になるという事は指導ができる人という事なのだから、より良い指導者になる事を目的としなければならない。」そう言われて、しばらくの間黒帯をせず、他の色に染めた帯などをなさっていた。その時は「ふむ。ふむ。そうかあ」などとわかった気でいたけれど、明確には理解できていなかったかもしれない。


自分の道場を開く時に、段にこだわらない先生は、私に八段というとんでもなく凄い段を与えてくださった。そして「その段にふさわしい先生になって下さい」とおっしゃられた。そして20年以上武道を続けてきた今になってようやく気づいた事は、黒帯になる間の過程も、そしてその後も、稽古を通しの学びを心から楽しむ事が大切だという事。稽古で門人さん達に教えながら私も一緒に学び、その学びに対して喜びを感じる事の大切さがわかってきたような気がする。教えてやっているのではなく、一緒に学ばせてもらっているのである。それに気づくと一つ一つの技により細かな気づきがあり、その技を更に深く理解できてくる。過去のどの偉い先生方も「まだまだ」と晩年になられてもおっしゃっていたと言うが、私は「まだまだ」どころか、やっとスタートラインに立ったような気がする。


このような素晴らしい喜びを教えて下さった杵淵師範や他先生方、門人さん達に心より深く感謝し、遠いいつの日か本当に「八段」にふさわしい指導者となれるよう階段をゆっくり登って行こうと思う。


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