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春の訪れ

病院での定期検査の帰りはいつもは直ぐに帰宅するのですが、お天気が良かったので、ふと京都御苑内を歩いてみたくなりました。


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広い御苑内に咲き始めた紅白梅の美しさや黄色の蝋梅の芳しく優しい香りに癒されながらゆっくりと散策を楽しんでいました。すると「高齢の男性から新しくできたレストランに行きたいのだけれど何処ですか?」と尋ねられました。私がわからずに園内マップで確認していたら、他の方がちょっと遠いけどずっと向こう側にある事を説明していました。そこで「じゃあ、私と一緒にいきましょうか!私も行ってみたかったし。」と、その高齢の男性に伝えたところ、「一緒に行けたら素敵だけれど、足が悪くてゆっくりしか進めないんだよ。」と言いました。私は「大丈夫。梅も美しいし眺めを楽しみながら行きましょう!」と、先ほど来た道をその男性とゆっくりと戻りました。


花々を見ながら歩き、沢山のお話をしました。お花が好きで普段は京都植物園に行かれていると言われ、センリョウとマンリョウの違いや京都の他の場所の梅について教えていただきました。そしてやっとレストランに着いた時「お礼に是非ご馳走させてください」と言われ、せっかくなので温かい甘酒をご馳走になりました。そしてレストランでも色々な京野菜について教えていただき、また彼は心臓病を患っていて、もう処置の仕様がなく残りの寿命を全うするだけだとも教えていただきました。

私が武道を教えていると伝えますと、「今の子は社会を学ぶために武道を習うべきだ」と言われたのです。「最近の親御さんは抱っこで自分の身体の方に赤ちゃんの顔を向けて抱っこしている人がいるけれど、それでは、子供が見上げた時に親の顔しか見れない。親だけでなく、親と一緒に社会を見た方がいい。」と言われました。抱き方についての考え方は色々ありますが、その考えも一理あるなあと感じました。


私の子供は田舎で育ったので、周囲の大人に変わるがわる抱かれて、色々な人に面倒を見てもらい、そして色々な人に親と同じように可愛がられ、良いことをすれば褒められ、悪い事をすれば叱られました。そういう経験は、子供が社会に出ていく上でとても大切だと思います。おかげで今ではどの地域や国に行っても、その土地や人にすぐに馴染む事ができています。


そういう事が危ない地域もありますが、危ないと心配しなくていいような社会を私達が作っていく努力が必要です。


京都御苑で見た蝋梅の花言葉は、親が子を慈しむような深い愛情「慈愛」だそうです。寒い冬に心に寄り添ってくれて、春がそこまで来ているよと教えてくれた香りでした。

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